風立ちぬ

夢から始まり、夢で終わる。現実の間にも夢が挿入される。
まさに宮崎駿の「妄想」の映画(^^)
 
 
風立ちぬ、いざ生きめやも。」
"Le vent se lève, il faut tenter de vivre." 
(風が起きた、生きてみなければならない。) 
 
              ポール・ヴァレリー『海辺の墓地』(『魅惑 Charme』に所収) 
 
 
風立ちぬ』に吹いていた「風」は、
これまでの宮崎作品の中で吹いていた「風」とは、少しばかり「質」が異なるかもしれない。
風立ちぬ』に吹いていた「風」は、二郎と菜穂子を結びつけたが、
関東大震災の折に吹き、日本が太平洋戦争に突入した際にも吹き抜けた。
 
夢の中で飛ぶ様々な「可能性の」飛行機。
現実で吹き荒ぶ様々な「風」。
その間で、二郎は「美しい」飛行機の設計を夢みる、否、志す。
そして二郎は、夢の中ではカプローニと繋がり、現実では菜穂子と結ばれる。
 
「君は生きねば」に泣けた…
そこには、菜穂子の想いのみならず、
零戦を設計した、飛行機をつくってきた二郎の業、それに纏わる人々の願いのよーなものも含まれるだろう。
単に「生きねば」であれば想う主体は自己であるが、
君は生きねば」であれば願う主体は周りの人々でもあるのかもしれない。
 
カプローニと二郎との、「夢の中」での対話…
ひょっとしたら「夢」とは、「引き継がれる」もの、若しくは「持続の中にある」もの、でもあるのではないだろーか。
だから、「君は生きねば」の中には、「引き継がれる」想いも含まれるのかもしれない
 
 
風立ちぬの評価が二分されているみたいな意見がネット上で散見されるのだが
それは、この国の国民が「国民の生活が第一」と言われても「分からなかった」事と同様の感性なのかもしれない。
 
風立ちぬ』において、宮崎駿に「生きねば」と言われても「分からない」…
 
小沢一郎に「国民の生活が第一」と言われても「分からない」…
 
それは、この国の国民の「危機感」の欠如であるだろう。
新自由主義によっても放射能汚染によっても死なないと思ってる…
 
 
だから…
「君は生きねば」……
 

そーいえば、
風の谷のナウシカ』原作でのナウシカ最後のセリフと、
風立ちぬ』のキャッチコピーが、
同じ

「生きねば」

なのも感慨深い。
そこに込められた「意味」は宮崎駿にとって以前から同じものであるのだろうが、
その「本質」は変化しているのかもしれない。
時代が変化しているのであるから…

天空の城ラピュタ

しかし……
 
なにが【バルス祭り】なんだろーか…
なにが「バルス」を練習しなきゃ、なんだろーか…
日本人においては、末法思想もこれ極まれり、なのかって思ってしまう。
大体「バルス」は、「滅びの呪文」なんだが…
 
「いいまじないに力を与えるには、悪い言葉も知らなければいけないって…でも決して使うなって…
教わった時、怖くて眠れなかった…」
 
そんな「バルス」を、【バルス祭り】とか言って盛り上がる日本人の潜在的な破壊衝動が悲しい…… 
 
僕がラピュタを最終的に評価できないのが「バルス」だ
最初観た時には、怒りすら覚えた。何故、未来ある少年少女に「滅びの呪文」である「バルスを叫ばせなければならなかったのか?
誤った文明や体制を破壊しなければ新しい未来が開かれないとして
も、それを少年少女にさせるのは違うと思う。
バルス」の何が嫌いかって、「バルス」と叫ぶ刹那、
シータもパズーも【死】を覚悟したはずであり、だからこそ、未来ある少年少女に【死】を覚悟させるよーな決断をさせたあのシーンが大嫌いだ。
 
むしろムスカに言わせるよーにすべきだった。
何故ムスカを【ラピュタ王家の末裔】に設定する必要があったのか。
ラピュタ探索の猿回しとしての役割なら、別段政府から派遣された特務機関の人間としてだけであってもよかったのではないだろーか?
ムスカを【ラピュタ王家の末裔】に設定したのであれば、それは、ラピュタがその科学力をもって世界を支配した帝国としての側面を終わらせる役割を担わせるべきであったのではないだろーか。
その役割を、未来ある少年少女であるシータとパズーにさせてしまったところが、返す返すも残念だ。
あの俗物の将軍をもっと狡猾にさせ、ラピュタを崩壊させなければ二進も三進もいかなくなったところで、ムスカがシータとパズーを逃がしてから「バルス」と叫ぶ………
みたいな展開にもっていけなかったものか?と【妄想】したりするのだが…(^◇^)
あれでは、ムスカもあの俗物の将軍と同じ単なる道化でしかなくなってしまったのが、全くもって残念だ。
宮崎駿の言う「作品に出てくる人間たちも解放されて終わるべきだ」にとっても、ムスカに「バルス」と叫ばせたほーが、ムスカとゆー【科学力をもって世界を支配した帝国の末裔】の存在は解放されたのではないか?と思うのだが、如何なものだろーか?(*^_^*)

ついでに言えば、ラピュタで嫌いなのが、冒頭のシーンで、シータがムスカを酒瓶で殴って気絶させるところ。
これも、少女にさせる行為ではない。
ナウシカが父親のジルをトルメキア兵に殺された際に、
怒りにまかせて兵士たちを殺していった事とは訳が違うと思う。
下手したら大怪我だし。
 
そーゆー意味では、
「シータは3回死んでいる。」
バルス」と叫んでラピュタが崩壊した時に、【偶然】木の根っこに引っ掛からなかったら、海に落ちて死んでたし。
冒頭のシーンで飛行船から落っこちた時、【たまたま】飛行石がなければ死んでいた。この時ドーラがシータの死を厭うよりも、「飛行石がぁ~」って言ったのが嫌い。例え海賊としての性格付けだったとしても。
あと、シータを抱えたロボット兵が要塞の砲撃にあった時。これも【下手したら】死んでたのではないか?この時も、要塞の兵隊がシータの安否を確認に来て「死んだか?」って言ってるのも嫌い。
 
何故、ラピュタにおいて宮崎駿は、登場人物の【死】を想起させる言動をとらせたのだろうか?
当時の制作情況から、ガンダムと張り合う上でも、単なる【漫画映画】として成立させる訳にはいかなかったのかも?と推測したりするが、仔細は作品を観ても今だに分からない。
僕自身は、オーニソプターが出て、トランペットを吹いて鳩を操る少年が出てくる作品であれば、『宮崎駿イメージボード集』で見ていたよーな、少年少女による「単なる」【漫画映画】であって欲しかった、と思う。
 
そう。オーニソプターといえば、も一つついでに残念だったのは、フラップターだ。
何故オーニソプターを、あんな戦闘機みたいに「風を切り裂く」
乗り物にしてしまったのだろうか。
オーニソプターは、パタパタ羽ばたいて飛び上がり、
メーヴェのよーに「風にのる」漫画映画ならではの乗り物であったのに。
……って思って『出発点』読んでたら、その裏話が書いてあった(^^ゞ
フラップター「初めは全然飛ばないんですよ。パタパタうるさく見えるだけでね。本当は子どもが乗ってパタパタと羽が動いて飛ぶのがやりたかったんですけどやめることになったんです。」
オーニソプター「…オーニソプターは難しいですからね。作画で飛ばすときにどうしたらいいんだ──って、自信がなかったんです。…たとえば本体が動かずに翼だけパッパッと動いていたら、ウソだと思うんですよ。激しく本体も動かないと運動としておかしい。でも、それをやると乗ってる人がもたないと思う。どうにも動かせない。」
 
 
 
でも好きなんだけどねっ(^^ゞ
天空の城ラピュタ
 
 
 
しかし……
親方とシャルルの見栄の張り合いからのシークエンスを観ていると金田伊功を思い出さずにはいられない…
氏の御冥福を祈るばかりだ…
 
 
困った時のおまじない。…古い古い秘密の言葉(^^)
 
リテ・ラトバリタ・ウルス 
アリアロス・バル・ネトリール
 
「我を助けよ、光よ蘇れ」
…シータがこの呪文を唱えたシーンを観ていると、今度は名倉靖博を思い出した…(^^ゞ
 
 
「今はラピュタがなぜ亡びたのか、私よくわかる。
ゴンドアの谷の歌にあるもの。
土に根をおろし、風とともに生きよう…種とともに冬をこえ、鳥とともに春を歌おう…
どんなに恐ろしい武器を持っても、
沢山のかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!」
 
シータのこのセリフを初めて聞いた時は、現代文明に対するアンチテーゼなんだろーと漠然と考えていたんだけど、自立と共生、地域主権といった事について考えている今は、「経済成長か原始的生活への回帰か」という「ツマラナイ二択」ではないと思う。
 
土に根をおろし、風とともに生きよう…種とともに冬をこえ、鳥とともに春を歌おう…
 
それは、経済のグローバル化とクローニー資本主義の脅威に晒される今現在において、
否、
人間の生きかたとしての本質なんだろう、と考える今日この頃です(*^_^*)

「ガンダムはこういうモノでなければならない」とは何か?

ダロタ注意さんから、以下のご質問を頂戴いたしましたので、その回答を記事にしてみました。

>ただ...一つ聞いてみたいなぁと思うのは「ガンダムはこういうモノでなければならない」という枠組みは誰が決めているのでしょう..?
>何となくですが、そのような窮屈な枠組みをもうける事は、将来的にそのコンテンツを変な制限でダメにしてしまいそうな気がします....。


さて、まずご質問の趣旨として、
ガンダムはこういうモノでなければならない」とゆー固定観念を、
少なくとも『ガンダム』の「ファン」の側では抱くべきではなく、
自由でクリエイティブな発想を取り入れた作品をファンが受容しなければ、
ガンダム』とゆーメディアミックスのコンテンツの継続的な発展が望めない。
とゆーご意見を、ダロタ注意さんがお持ちなのではないか、
と勝手ながら推察いたします。<m(__)m>

ガンダムはこういうモノでなければならない」という枠組みは誰が決めているか?
とのご質問に対する「直接的な」回答といたしましては、
現在の状況では、第一には「バンダイ」でしょう。
第二に、「バンダイ」の子会社となった「サンライズ」であり、
第三に、実際に『ガンダム』作品を制作するスタッフ、
第四に、「ファン」が挙げられます。
つまり、供給と需要の均衡の上に件の枠組みが形成されていると考えます。
有り体に言えば、
バンダイ」が「こんな『ガンダム』如何ですか?」と『ガンダム』とゆー商品を提供して、
「ファン」が「この『ガンダム』面白い」って購入すれば、
ガンダムはこういうモノ」とゆー枠組みが形成されるのでしょう。

しかしながら、ダロタ注意さんが言わんとされているのは、そーゆー事ではないんでしょーねっ(^^ゞ
僕自身は、今回の『劇場版 00』に関しまして、レビューにも書きましたよーに、
ガンダム』ワールドとしては違和感があるけど、
機動戦士ガンダム00』とゆー「作品」としては「あり」かなっと、
あのスタッフさん達が選択したことだから、許容しよーとゆー立場です。
ダロタ注意さんが言わんとされているのは、
その、
>『ガンダム』ワールドとしては違和感があるけど、
とゆー部分に対して、「ファン」の側で固定観念を抱くべきではないのでは?
とゆー事なんだろーと勝手に理解しています。<m(__)m>
ガンダムはこういうモノでなければならない」という枠組みが形成される構造の中で、
需要の側である「ファン」が固定観念を抱いたままでは、
供給の側が商品展開に萎縮してしまい、
ガンダム』ワールドが発展していかないのではないか、
と危惧されているのだろーと思います。

問題は、「ガンダムはこういうモノ」の中身なんだろーと思います。
つまり、「こういうモノ」ってどーゆーモノって事ですよねー(^^ゞ

僕自身が考える『ガンダム』の特色は、
それ以前のいわゆる「ロボット物」と一線を画して、
ロボットを「モビルスーツ」と呼ばれる兵器として扱うことによって、
「戦争」をアニメーションの題材に取り上げた事、
それ以前の「ロボット物」が勧善懲悪であったのに対して、
敵味方共々同じ人間であるとゆー観点から「戦争」をアニメーションとして表現し、
「人間ドラマ」を描いた事です。
つまり、『ガンダム』ワールドとは、
モビルスーツ」と呼ばれるロボットが一般の兵器と同様に「戦争」を描くための道具として使われる「人間ドラマ」であって欲しいんですねー

ガンダム』ワールドをそのよーに考えるならば、
今回の『劇場版 00』に関しては、
「ファーストコンタクト物」とゆー「人間ドラマ」とは異質の物語が主軸に据えられたために凄く違和感を感じた点を、
先のレビューでは述べたかったんです。
僕自身は、今回の『劇場版 00』においては「人間ドラマ」とゆー観点が希薄だなー、
とも感じました。
ミーナ・カーマインが、クローンであるネーナのオリジナルであるとゆー裏設定を知っていても、
ビリー・カタギリとのくだりは軽薄さすら感じました。

ただし、『機動戦士ガンダム00』とゆー「作品」の主題である、
「相互理解の重要さ」「お互いが分かり合うことによって、戦争すら無くすことができる」
というテーマからすれば、
また、『ガンダム』ワールドが宇宙をも舞台として設定されていることからすれば、
人類とは全く異質の存在であり、理解不能に思われるELSを登場させての「ファーストコンタクト物」をスタッフさん達が選択したことは、理解できます。
しかしながら、
今回の『劇場版 00』は、テレビシリーズ本編よりは「人間ドラマ」の点であまり上手く描かれてなく、
ファンサービスに重点が置かれている点が残念でした。
もう少し『ガンダム』ワールドを上手に表現していただけたらよかったのですが・・・
ただ、映画とゆー限られた尺の中で、
刹那を中心にしての、
フェルトやマリナ姫との絡みは、上手く表現していただいたなーと思います。

なので今回の『劇場版 00』は、
ガンダム』ワールドとしては違和感があるけど、
機動戦士ガンダム00』とゆー「作品」としては「あり」かなっとゆー立場なのですが、
そーすると、今回の劇場版を含めて『機動戦士ガンダム00』とゆー「作品」を『ガンダム』ワールドとして認めるのかどーかとゆー問題が残りますよねー。
僕自身は認めよーと思っています。
今回の劇場版を含めて『機動戦士ガンダム00』とゆー「作品」なんでしょーし、
テレビシリーズ本編を観させていただいていた限り、立派に『ガンダム』していたと思いますからっ(*^^)v

ダロタ注意さんが言わんとされているでありましょー
ガンダムはこういうモノでなければならない」とゆー固定観念を「ファン」の側で抱くべきではないのでは?
と考えられます、ご指摘に対しましては回答になったか心許ないのですが、
今回の『劇場版 00』に関しましては、やはり違和感があったなーとゆーのが、
ぶっちゃけ本心です。

「窮屈な枠組みをもうける事」には僕も反対なのですが、
ガンダム』ワールドとして守るべき「枠組み」はあると思いますし、
それが制約であったとしても、
それを踏まえたうえで作品作りをしていただきたいなぁーと思います。
その際、もちろんダロタ注意さんが仰るよーに、
そのコンテンツを変な制限でダメにしてしまうよーでは困るんですけどねっ(^^ゞ

お読みいただきました皆様のご意見をお聞かせいただきましたら幸いです。

精霊流し グレープ

1974年にグレープがリリース。
グレープって、
さだまさし吉田正美さんが結成したフォークデュオで、
1972年に結成、1973年にデビューして、1976年に解散してます。
その後、さださんはフリーになるんですねー
精霊流し」って、グレープ初のヒット曲だそーです。
 
ちなみに、1974年って、
田中角栄の首相辞任、中日が巨人のV10を阻止、長嶋茂雄の引退
などがあった年です。
何か一時代が終わったって感じの年ですねー(T_T)/~~~
マンガ界では、
あしたのジョー』、『ベルサイユのばら』、が前年に終了し、
エースをねらえ!』が始まっています。(*^_^*)
 
しかもっ!この1974年には、なんとっ\(◎o◎)/!!
など、アニメ界にエポックメーキングをもたらした偉大な作品が、
数多く生み出されていまーす。(*^_^*)
 
映画では、
が日本で公開され、
TVでは、
仮面ライダーX』、『ウルトラマンレオ』、『がんばれ!!ロボコン
が放映されています。
 
音楽では、
井上陽水のアルバム『氷の世界』、小坂明子のシングル「あなた」
が大ヒットしており、
ユーミンの「やさしさに包まれたなら」がこの年の作品なんですねー(^^♪
あと
カーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」が日本でヒットし、
オリビア・ニュートン=ジョンの「愛の告白」がグラミー賞を受賞していますー
 
それでは、前置きが長くなりましたが、(^^ゞ
曲をお聴き下さい。(^^)
 
 
 
出だし、
「去年のあなたの想い出が テープレコーダーから こぼれています」
って、この曲全部聴いた後に、この出だしをもう一度聴いてみると、
始めから悲しーんですよねー(ToT)/~~~
「去年のあなた」って今年の、今のあなたじゃないしー(>_<)
 
「想い出が、テープレコーダーからこぼれています」
ってゆーのも、さださんらしー表現ですよねー(^^♪
普通、「想い出」はこぼれるって表現しませんし、
「テープレコーダーから」だったら「聞こえています」ですよねー。
それを「こぼれています」って表現するのは、
さださんが後の作品の「加速度」の中で、
恋の終わりを「ガラス窓のしずく」に例えたよーに、
「こぼれ落ちる」のイメージで、
この曲中の主役である、彼氏を亡くした女性が、
去年の彼との想い出を、彼が亡くなって今傍にいないことを、
意識的か無意識的か受け止めることができていない様を表しているのかなー
って勝手に思っちゃってますー(ToT)/~~~
 
「二人でこさえたおそろいの 浴衣も今夜は一人で着ます」
もーこの当りから涙(ToT)/~~~ですー(T_T)
せっかく作った「お揃い」の浴衣、「一人」で着るんだーっ(>_<)
 
「せんこう花火が見えますか 空の上から」
空の上からーー!!雲の上の人なんだーー!!
空の上から、線香花火なんて見えないよーー!!(ToT)/~~~
小さすぎてーー!!(>_<)
 
「約束通りに あなたの愛した レコードも一緒に流しましょう」
「約束通りに」ってゆーのが、
恐らく、亡くなった彼は入院でもしていて、死期が解っていて、
自分が死んだ後の事を約束してるんですよねー・・・(>_<)
 
ちなみに、ぶっちゃけ最近まで、
「流しましょう」や「舟のあとを」から「川流し」を想像してましたっ<m(__)m>
 
「私の小さな弟が 何も知らずに はしゃぎ回って」
若干、彼女は苛立っているのかもしれませんっ(>_<)
運命に対して・・・
 
精霊流しが華かに始まるのです」
精霊流し」って、まだ見た事ないんですが、
本当に華やからしーですね。爆竹とかバンバン炸裂して・・・
でも、そんな華やかな「精霊流し」と対比されているのが、
歌詞に語られない「私」、彼女の気持ちなんですよねー(ToT)/~~~
 
 
「あの頃あなたがつま弾いた ギターを私が奏いてみました」
彼との想い出、自分がギターを弾く空しさ・・・(ToT)/~~~
「いつの間にかさびついた糸で くすり指を切りました」
彼が亡くなってからも、過ぎ行く時の残酷さ・・・(>_<)
 
「あなたの愛した母さんの 今夜の着物は浅黄色」
「わずかの間に年老いて 寂しそうです」
この曲中に、彼の家族はお母さんしか出てこないんですよねー・・・
とゆーことは、ひょっとして、
お母さんは家族が誰もいなくなって、一人ぼっちなのかっ?
わざわざ「あなたの愛した母さんの」ってゆーことは、
父親を早くに亡くして母一人子一人だったから、なのかっ?
そーだとしたら、「わずかの間に年老いて、寂しそうです」
ってゆーのが悲しすぎる・・・(T_T)
 
「約束通りに あなたの嫌いな 涙は見せずに過ごしましょう」
「そして黙って舟のあとを ついてゆきましょう」
ここで彼女は決心しています。
彼がいない、これから先の自分の人生を生きていこうと・・・
彼がいなくなった運命を受け入れよーと・・・
 
「人ごみの中を縫う様に 静かに時間が通り過ぎます」
「あなたと私の人生を かばうみたいに」
彼女は自分の人生を生きていく決心はしたものの、
人混みの喧騒の中、他の人々を見ながら、
やはりまだ、彼がいなくなった運命を受け入れられないのかもしれません。
でも同時に、これからの時間の中で、解決できないまでも、
彼との想い出を胸に、生きていこうと感じているのだと、思ってます。
 
 
さださんの楽曲の一つのテーマに、「命」の大切さを歌い上げること、
があると思います。
儚い「命」、そんな「命」に関わる人々の想い・・・
精霊流し」は、そんなさださんのテーマがストレートに出過ぎたのかもしれません。
でも、だからこそ、さださんの純粋な想いが表現されたこの曲は、
何時までも心に残るのだと思います。(*^_^*)
 

劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-

ガンダムワールドにID4を混入したらT2からT3になって、最後はおとぎ話で終わるとゆー映画。
以上。


ちょっと短過ぎたかなっ?(^^♪
っとゆー訳で、
★以下ネタバレ注意★(って↑ので充分ネタバレですよね~~<m(__)m>)
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まず、ガンダム世界でファーストコンタクト物をやるってゆーのは、
クロスオーバー作品の
マジンガーZデビルマン』や『グレンダイザー対グレートマジンガー
並みの違和感がありましたねー(^^ゞ
若しくは『キングコング対ゴジラ』とか・・・<^!^>

まぁー、刹那がイノベイターになるくらいだから、
00的には「あり」なんでしょーけど・・・
ガンダム世界で生きてきた身としては、
「それはちょっと・・・」の感が否めません。(*_*)
メカ対メカだからガンダムかなって思います
!(*^_^*)
水島監督や脚本の黒田さんの言いたいことは解るんだけど・・・

せっかくやるんだったら、
アレハンドロ・コーナーのバッタ物<^!^>なんか出さずに、
まんま『インデペンデンス・デイ』にしても良かったかなっ?
あのギャグみたいな劇中劇はいらなかったなー(T_T)
本編でもアレハンドロは道化師でしたしねぇー<^!^>
一瞬、回想シーンか?って思ってしまった己の不覚・・・(ToT)/~~~
笑いを取る必要のない映画なのに、
本編でもやったことないよーなギャグを入れる必要あったのかなっ?

そーゆー意味では、ネーナもどきの科学者もいらなかったなー(^^ゞ
カタギリとの絡みも、ギャグにしか見えませんでしたしねぇー(ToT)/~~~
それって本っ当に、結構残念なんですよねー(>_<)
カタギリが軽く扱われるってことは、
本編でのスメラギさんとの経緯も軽くなっちゃうってことなんで・・・(ToT)/~~~

特に前半は、ハリウッド映画もどきの演出で状況を描写してるんだから、
ギャグなど入れずに、
この映画はこーゆー映画なんだってしてくれてたほーがよかったですねっ(^^ゞ

それだったら、導入部も、リボンズのバッタ物なんか出さずに、
まんま『遊星からの物体X』とか『アンドロメダ病原体』とかにしたほーがよかったかなー?
木星探査船に乗ってたリボンズタイプのイノベイドをELSが模倣した
って裏設定が解り辛かったです・・・<m(__)m>
それ以前に、『エイリアン』でもよかったかもしれませんねぇー(^^♪
そのほーが、木星探査船の設定が生きたかもっ?
ちなみに木星探査船と聞いて、
パプテマス・シロッコかっ!?って思っちゃいました。(^^ゞ

でもやっぱり、
全編通してハリウッド映画のパクリかってシーンが多数見受けられたのは
どーかなーって思うんですが・・・
TVシリーズ本編では、手堅い演出をしてくれてたんですけどねー・・・(>_<)
ハレルヤのシーンなんて『ザ・カー』って感じでしたし・・・
地下鉄がぶつかるシーンもどっかで観た事あったなー・・・
最後ELSの本体が球体ってゆーのも、
インデペンデンス・デイ』か、はたまた『スターウォーズ』か
って思いますよねぇー(^^ゞ
まぁでも、艦船にしたら『マクロス』とか『ヤマト』になっちゃいますし、
ガンド・ロワみたいな兵器にしたら『イデオン』になっちゃいますもんねぇー(^^ゞ

ELSが金属体ってゆーのも、しょーがないなーって・・・
まんま新型ターミネーターになっちゃうのも、あれしかなかったのかなぁー・・・
ヒューマノイドタイプだと、
マクロス』とか『イデオン』とか『ヤマト』とか『大空魔竜ガイキング』とか<^!^>
になっちゃいますもんねぇー(^^♪
う~~ん、こうしてみるとファーストコンタクト物って結構あるなぁー(*^_^*)
よく考えてみると、『ウルトラマン』もファーストコンタクト物?

デカルト・シャーマンが大した活躍しなかったのは御愛嬌として、
イノベイターになる因子って何っ?
DNAにでも含まれているんでしょーか?
それは、イオリア・シュヘンベルグの計画にも織り込み済みだったのでしょーか?
本編では、刹那が、
ダブルオーガンダムのツインドライヴによるGN粒子の強化と
戦いを放棄することへの強い意志とによって
イノベイターへと変革した、と理解していたのですが・・・
イノベイターになる因子とGN粒子があればイノベイターになれるんだったら、
本編での刹那の苦悩は無意味になるのでは・・・(ToT)/~~~
ラストで軽く、全人類の4割がイノベイターになったと言っていましたが、
そんなに軽くなれるものなのか?
イオリア・シュヘンベルグは、それで満足なのか?
因子を持ってるルイスと持ってない沙慈はどーなったのでしょー?
永遠に幸せになれないのか?・・・(>_<)
それとも2倍の寿命差をものともせず、束の間の幸せを手に入れたのでしょーか?

戦闘シーンは、圧巻でしたねー\(~o~)/
何が何やらって感じで・・・
目で追いきれない凄さがあって、今の作画の人は上手いなー(*^^)v
その昔「板野サーカス」で感動していた頃が懐かしー(*^_^*)、
って思っちゃいましたっ(^^♪

今回の映画で、
グラハム・エーカーがついに「ガンダム」の呪縛から解き放たれましたねぇー(*^_^*)
今回の映画で何がよかったって、それが一番(^^)よかったですー(ToT)/~~~
でも最後に・・・(>_<)

最後のおとぎ話は、
宇宙に咲く一輪の花・・・
いや・・あれでいーんですけどね・・・(^^ゞ

あと、本編でもエンディングテーマの後、1シーン入れたりしてましたけど、
映画で、エンドロールの後に2シーンも3シーンも入れるのは止めて下さい!!<m(__)m>
このレビューをお読みいただいた皆様、
決してエンドロールになっても席をお立ちにならないよーに!!

最後の最後のおとぎ話は、
50年後のハッピーエンド!(*^_^*)
メタル刹那は、FSSのナ・イ・ンかなっ?<^!^>
他に何かあったかなー?
もし心当りがおありの方がいらっしゃいましたら、是非御教授下さい。<m(__)m>

美しい曲、神曲、さだまさし

ある人のブログに遊びに行った時、
千と千尋の神隠し』の「いのちの名前」を記事にUPされてたんです。
とても美しい曲で神曲ですって仰ってました。
何か他に良い歌があったら、と聞かれていまして、
その時は、他の方がアニソンをコメントに挙げてらっしゃったものですから、
僕も「ライオン」『マクロスF』や
「君は僕に似ている」『機動戦士ガンダムSEED DESTINY
などを挙げてみたのですが、
そーいえば、美しい曲、神曲なら、
さだまさし
がいるじゃないかっ!!と・・・(*^_^*)
だけど、恐らく「今の人」は聞いたことがないんだろーなーって思いまして、(^^ゞ
その場では言えなかったんですが・・・<m(__)m>

その時考えましたのが、
せっかくブログを開設したんだったら、
さだまさし!(^^)
を「今の人」にも伝えていく事が、
さだまさしを知る者の責務なんじゃないかって・・・<^!^>

さださんに限らず、
中島みゆきユーミン松山千春オフコースなど、
美しい曲、神曲を作り歌われている方は数多くいらっしゃいます。
ただ、僕もリアルタイムで聞いてた訳ではないものですから、
個人的に70's~80'sのアーティストの中で一番知っていて、
個人的に素敵だなーって思える曲が一番多いのがさださんなので、(^^ゞ
これから、さださんの曲をUPしていきたいなーって思いますっ!!(*^^)v
ただし、
さださんのディスコグラフィを前期・中期・後期に分けますと、
僕自身、中期以降の作品はほとんど聞いてませんので、(^^ゞ
前期末の「防人の詩」までとなります。
どーか御容赦の程を・・・<m(__)m>

せっかくだから、さださんの曲を古い順にUPして、
さだまさし!(^^)
追体験しよーと思ったのですが、
そーすると、最初にUPすることになる「精霊流し」がアレ(^^)ですから・・・
さだファンの人気投票で常に一位になるらしい「主人公」にしよーか迷ったのですが、(^^ゞ
まず最初にUPするのは、僕が一番さだまさしらしいと思う曲、
道化師のソネット」にしました!(*^_^*)


2~3年前から、ゆうちょのCMでも流れてるそーですので、
お聞きになられてた方もいらっしゃるかと思います。

道化師のソネット」が一番さだまさしらしいと思いますのは、
ペーソスを文学的ともいえる表現を用いた歌詞にして美しい調べに乗せ、
繊細な高音でありながら力強く歌い上げる、
さださんの楽曲の特徴がよく現れているかなーって考えるからです。(*^_^*)
道化師のソネット」は、「防人の詩」の一つ前でもう一度取り上げますので、
今日はここまで。<m(__)m>

耳をすませば

今年の夏は、特に強烈なジブリ砲が放たれてましたねー(^^♪
お蔭様で、金10の被害はまたもや甚大ですー(T_T)/~~~
その中でも1発目は見逃したので2発目(^^)、
耳をすませば』はmy best 映画の中でも20位以内に入りますので、
レビュー書いてみたいなって思います。

この映画は、例えれば、

もぎたての青い果実をかじった時に甘酸っぱさやニガさを感じた後、
何とも言えない清涼感に満たされる、
そんな映画です。(*^_^*)

それでは、思いつくシークエンスを、作中の時系列になるべく沿って、お話してみたいと思います。

しばしお付き合いを…<m(__)m>

冒頭、夜の東京を俯瞰するシーンで、

オリビア・ニュートン=ジョンの『Take Me Home, Country Roads』が流れた時、
凄ーく違和感を感じたんですよねー
「東京なのに何故『カントリー・ロード』」って…(^^ゞ
観ているうちに、「そっかー!!東京が『ふるさと』の人の物語なんだー」って、
『コンクリート・ロード』辺りでよーやく気が付きましたっ(>_<)
ちなみに今回TVで観て、
地球屋のおじいさんとムーンが冒頭のシーンから登場している事に
初めて気が付きましたっ(>_<)

映画の前半、雫は家族に対する距離感がつかめていないのかなーって、思ったりしました。

買い物から帰って、「ただいまー」って言う時の声のトーンが低かったりして…
この辺りは近藤監督の演出なのかなー?
感じがよく出てましたよねっ!!(*^^)v
「お姉ーちゃんと一緒だと、疲れるぅー」
って、これ、次男次女の人か、兄弟姉妹が外
的で自分が内向的な人にしか分からないと思いますが、
実感なんですよねー(>_<)
雫の気持ち、よぉーく、わかりますー(ToT)/~~~
姉が両親と話しているときも、自分は別室で本読んでたりして…
自分が身を引いてもその場が和気藹々としてれば、それでいいやって思っちゃうんですよねー(T_T)/~~~
雫は姉に対するコンプレックスもあって、ますます本の世界に没入するようになったのかもしれません。
そーいえば、宮崎さんも次男なんですよねー(^^)

杉村の気持ちも、凄ーくよくわかりますー(^^ゞ

今にして思えば、何故フェンス裏にバッグが一つだけ…って思っちゃうんですが(^^ゞ
杉村は「月島ぁー、バッグ投げてー」って、「月島ぁー」って、
雫に何回も言うんですよねー…夕子ちゃんじゃなくて…^m^
テストが終わった後も、「月島ぁー、聞いて聞いて」って…
好きな子しか眼中にないっちゅーか…(^^)
それなのに、後のシーンで、
告白ってから、雫に恋愛対象として見られてないって分かった後、
聖司くんが教室に来て、雫との関係をクラス中が囃し立てていた時の杉村のツラさ…
ツラいっすよ~(ToT)/~~~、

電車の「中で」猫見つけたら、どこ行くのか気になっちゃいますよねー(^^♪

それでなくても、猫の後ってつけて行きたくなるんですが…(^^ゞ
街中で何か気になる人の後ろもつけてみたりなんかして…(ストーカーみたいだな…)
子供の頃、路地を走り回ってたことを思い出しますー(^^)
また近所からちょっと遠出して、
それまで自分が知らなかった土地を、世界を見てみたくなったりとか…(*^_^*)
この辺りも、東京で生きていかざるを得ない少年少女に対して、
東京でも未知への憧れを満たすものやドキドキがあるんだよってゆー
宮崎・近藤コンビの励ましの声が聞こえてきそーです。(^^♪

「そうか、お嬢さんはドワーフを知ってる人なんだねっ」って、おじいさんのセリフ、

今までドワーフを知ってる人が、あんまりいなかったんだろーなーって
凄く伝わりますよねっ(^^♪オシャレな言い回しですー(*^_^*)
ところで、「例の時計」の文字盤に、「Porco Rosso」って書いてあるんですよねー(*^_^*)
これも今回TVで観て、初めて気が付きましたっ(>_<)
雫、地球屋から「たっいへーんっ」て出て行っちゃうわりには、お父さんの弁当忘れちゃうんですが、
お母さんの忘れ物癖とダブらされてるんですよねー(>_<)
親子って、変なところが似てたりしませんかっ?
そんなところで「家族」を感じさせる脚本かなーって思っちゃいました。(^^ゞ

「天沢医院の末っ子が同じ学年にいる」って聞いて慌てて出て行く雫にも、

「あいつ、ヤな奴なの。逃げるの嫌じゃない!」って立ち向かっていく(^^)雫にも、
「若いっていーなー」って思っちゃう自分がいます…(^^ゞ
雫、保健室で友達と昼ご飯たべるんだーって、妙ぉーに嬉しかったりする自分も…(>_<)
内向的っていっても、人との繋がりを全く遮断している訳ではなくて、普通の女の子なんですよねー(*^_^*)
「お願いします。雫様ー」の後、「よろしい。」って雫が歌詞見せる時、
後ろで保健の先生が「くす」って笑うところを観て、
「この先生、いい人だったんだー」って思いました。(^^♪

杉村フった後、自己嫌悪に陥って、お母さんが帰ってきたのがわかるとソソクサと出て行くんですが、

そんな時家族と一緒にいたくないですよねー(T_T)/~~~
地球屋でムーン相手に「最近本読んでても前ほど楽しくない」って、
恐らく雫は、夏休み前に本を20冊読むって決めた時くらいから思ってたんじゃないかなー、
って思ったりします。
中学3年生になって、漠然と将来の自分を考えた時に、
不安になったり自己を確立できていない自分に思い至って、
好きな本に何らかの答えを見出そーとしてたんじゃないかって…

その時聖司くんに会うんですが、

実は雫、聖司くんのコト、ちょっと気になってたんですよねー(^^♪
前に地球屋閉まってた時に、自転車のブレーキ音聞いただけで、
ビクってなってましたし…^m^

原作では画家だったのに、何故ヴァイオリンって思いましたが…(^^)

宮崎さん、職人が好きなんだなー、とも思いましたが、
青少年が目指すべき「人間の生き方」ってテーマに対する設定でもあるんですよねー(^^)
カントリー・ロード』を聖司くんが弾き始めた時、
「あっ『カントリー・ロード』弾いてくれるんだぁー」って雫の表情や、
緊張しながら歌っていた雫が、おじいさん達の参加で気分が高揚していくところもよかったです~(^^♪
雫と聖司くんの痴話ゲンカも…(^^)
夜道で対抗の車が来たとき、咄嗟に雫を庇う聖司くん!
サっとあーゆーことが出来る人に私はなりたいっ!!(^^ゞ

聖司くん、好きな子に気付いてほしくて、でも面と向かって言えないから、

読みそーな本を先に読んだり、隣に座ってみたり、
って…くーーっっ!!(>_<)
そーいえば、やったことあるなー(ToT)/~~~
でも屋上での会話の時から、聖司くん、「雫」って呼び捨てなんですよねー(>_<)
聖司くん、男の子だなー(*^_^*)
雫も「聖司くん」になってるし…若いっていーなー(*^_^*)
聖司くんに告白られて、そして、自らの意思で将来を見据えて行動する聖司くんの話を聞いて、
天沢聖司」に抱いていた憧れや、自分の将来に対して抱いていた悩みなんかが綯い交ぜになって、
扉のところで見ていたクラスメートに「コラー」って言っちゃうところも、何かわかりますよねー(*^_^*)
何か身につまされちゃいますー(^^ゞ

緑柱石の話もよかったですー(*^^)v

「まだ磨いてない自然のままの石、そのままでもとても好きだがね。」
って、おじいさん、人間を愛してるんだなーって思ったりして…>^_^<
「まだ見えない原石があるかもしれない。」
って、自分にもあるかもーって思ったりして…(>_<)
「自分の中に原石を見つけて、時間をかけて磨くことなんだよ。」
って、そーゆー生き方って、大変だけど素敵ですよねー(*^_^*)

「遠いものは大きく、近いものは小さく見えるだけのこと。」

ってイバラードの世界、あれをそのまま『猫の恩返し』でやってもらいたかったですー(T_T)/~~~
「行こう!恐れずに!午後の気流が乱れる時、星にも手が届こう!」
って何かカッコいいですよねー(^^♪本当に星に手が届きそー(^^♪
あのセリフを言いながら階段を勢いよく下りていく雫も、
物語書き始めのワクワク感や自分の人生を一歩踏み出した気概に満ちていて、よかったですー(*^_^*)

「雫のしたいようにさせようか。」ってゆーお父さんも、

「そりゃあ、私にも身に覚えの一つや二つはあるけど…」ってゆーお母さんも、
「しっかりやんな。」ってゆーお姉ちゃんも
理解があるってゆーか、そんな家族いねーぞってゆーか、
結局、いい家族なんですよねー(>_<)
個人的には、そーゆー父親に、私はなりたいっ!!(^^ゞ

手にした宝石が鳥の死骸になるよーに、決して上手く纏まらなかった雫の小説。

本っ当、書いても書いても上手く纏まらないんですよねー(>_<)
でも、そんなことは当に承知で、「よく頑張りましたね。あなたは素敵です。」って言ってくれるおじいさん。(ToT)/~~~
大事なのは、仕上げること、書き続けること。「自分の中に原石を見つけて、時間をかけて磨くこと。」
僕もそーだけど、大抵の人はこれが中々できません…(ToT)/~~~
だからこそ、それが大事って言ってくれているこの映画は、何時までも心の中に響くんだと思いますー(*^_^*)

夜明け前の丑三つ時、聖司くん、「奇跡だー」って、

普通あの状況では、雫は窓から出てきません。(^^ゞ
でもそれが会えちゃうのが、宮崎アニメであり、ジブリのアニメなんですよねー(*^_^*)
高台から見える東京の街を覆う雲海、それらを照らす朝日の美しさ…
コンクリート・ジャングルの東京ではあるけど、そこで生きていく人たちへの励ましの景色。

「聖司がいたから頑張れたの。」って、ついに雫も呼び捨てっ!

「俺と結婚してくれないか?」って、聖司。早くねー(*^_^*)
「そうなれたらいいなって思ってた。」って、雫。思ってたんかいっ(^^♪
「雫、大好きだぁー!」って、どーぞお幸せに…(*^_^*)
「まぁー、ロマンチックですことぉー」

本っ当、全てのシーンが愛おしくなってきます。

観てて気恥ずかしくなってくるところも、苦しく辛いところも…(ToT)/~~~
放送終了後、非リア充のネット難民から怨嗟の声が捲き起こったというのも肯けますよねー(ToT)/~~~
「若いっていーなー」
何時までもこの頃の気持ちを持っていたいものです。(*^_^*)