天空の城ラピュタ

しかし……
 
なにが【バルス祭り】なんだろーか…
なにが「バルス」を練習しなきゃ、なんだろーか…
日本人においては、末法思想もこれ極まれり、なのかって思ってしまう。
大体「バルス」は、「滅びの呪文」なんだが…
 
「いいまじないに力を与えるには、悪い言葉も知らなければいけないって…でも決して使うなって…
教わった時、怖くて眠れなかった…」
 
そんな「バルス」を、【バルス祭り】とか言って盛り上がる日本人の潜在的な破壊衝動が悲しい…… 
 
僕がラピュタを最終的に評価できないのが「バルス」だ
最初観た時には、怒りすら覚えた。何故、未来ある少年少女に「滅びの呪文」である「バルスを叫ばせなければならなかったのか?
誤った文明や体制を破壊しなければ新しい未来が開かれないとして
も、それを少年少女にさせるのは違うと思う。
バルス」の何が嫌いかって、「バルス」と叫ぶ刹那、
シータもパズーも【死】を覚悟したはずであり、だからこそ、未来ある少年少女に【死】を覚悟させるよーな決断をさせたあのシーンが大嫌いだ。
 
むしろムスカに言わせるよーにすべきだった。
何故ムスカを【ラピュタ王家の末裔】に設定する必要があったのか。
ラピュタ探索の猿回しとしての役割なら、別段政府から派遣された特務機関の人間としてだけであってもよかったのではないだろーか?
ムスカを【ラピュタ王家の末裔】に設定したのであれば、それは、ラピュタがその科学力をもって世界を支配した帝国としての側面を終わらせる役割を担わせるべきであったのではないだろーか。
その役割を、未来ある少年少女であるシータとパズーにさせてしまったところが、返す返すも残念だ。
あの俗物の将軍をもっと狡猾にさせ、ラピュタを崩壊させなければ二進も三進もいかなくなったところで、ムスカがシータとパズーを逃がしてから「バルス」と叫ぶ………
みたいな展開にもっていけなかったものか?と【妄想】したりするのだが…(^◇^)
あれでは、ムスカもあの俗物の将軍と同じ単なる道化でしかなくなってしまったのが、全くもって残念だ。
宮崎駿の言う「作品に出てくる人間たちも解放されて終わるべきだ」にとっても、ムスカに「バルス」と叫ばせたほーが、ムスカとゆー【科学力をもって世界を支配した帝国の末裔】の存在は解放されたのではないか?と思うのだが、如何なものだろーか?(*^_^*)

ついでに言えば、ラピュタで嫌いなのが、冒頭のシーンで、シータがムスカを酒瓶で殴って気絶させるところ。
これも、少女にさせる行為ではない。
ナウシカが父親のジルをトルメキア兵に殺された際に、
怒りにまかせて兵士たちを殺していった事とは訳が違うと思う。
下手したら大怪我だし。
 
そーゆー意味では、
「シータは3回死んでいる。」
バルス」と叫んでラピュタが崩壊した時に、【偶然】木の根っこに引っ掛からなかったら、海に落ちて死んでたし。
冒頭のシーンで飛行船から落っこちた時、【たまたま】飛行石がなければ死んでいた。この時ドーラがシータの死を厭うよりも、「飛行石がぁ~」って言ったのが嫌い。例え海賊としての性格付けだったとしても。
あと、シータを抱えたロボット兵が要塞の砲撃にあった時。これも【下手したら】死んでたのではないか?この時も、要塞の兵隊がシータの安否を確認に来て「死んだか?」って言ってるのも嫌い。
 
何故、ラピュタにおいて宮崎駿は、登場人物の【死】を想起させる言動をとらせたのだろうか?
当時の制作情況から、ガンダムと張り合う上でも、単なる【漫画映画】として成立させる訳にはいかなかったのかも?と推測したりするが、仔細は作品を観ても今だに分からない。
僕自身は、オーニソプターが出て、トランペットを吹いて鳩を操る少年が出てくる作品であれば、『宮崎駿イメージボード集』で見ていたよーな、少年少女による「単なる」【漫画映画】であって欲しかった、と思う。
 
そう。オーニソプターといえば、も一つついでに残念だったのは、フラップターだ。
何故オーニソプターを、あんな戦闘機みたいに「風を切り裂く」
乗り物にしてしまったのだろうか。
オーニソプターは、パタパタ羽ばたいて飛び上がり、
メーヴェのよーに「風にのる」漫画映画ならではの乗り物であったのに。
……って思って『出発点』読んでたら、その裏話が書いてあった(^^ゞ
フラップター「初めは全然飛ばないんですよ。パタパタうるさく見えるだけでね。本当は子どもが乗ってパタパタと羽が動いて飛ぶのがやりたかったんですけどやめることになったんです。」
オーニソプター「…オーニソプターは難しいですからね。作画で飛ばすときにどうしたらいいんだ──って、自信がなかったんです。…たとえば本体が動かずに翼だけパッパッと動いていたら、ウソだと思うんですよ。激しく本体も動かないと運動としておかしい。でも、それをやると乗ってる人がもたないと思う。どうにも動かせない。」
 
 
 
でも好きなんだけどねっ(^^ゞ
天空の城ラピュタ
 
 
 
しかし……
親方とシャルルの見栄の張り合いからのシークエンスを観ていると金田伊功を思い出さずにはいられない…
氏の御冥福を祈るばかりだ…
 
 
困った時のおまじない。…古い古い秘密の言葉(^^)
 
リテ・ラトバリタ・ウルス 
アリアロス・バル・ネトリール
 
「我を助けよ、光よ蘇れ」
…シータがこの呪文を唱えたシーンを観ていると、今度は名倉靖博を思い出した…(^^ゞ
 
 
「今はラピュタがなぜ亡びたのか、私よくわかる。
ゴンドアの谷の歌にあるもの。
土に根をおろし、風とともに生きよう…種とともに冬をこえ、鳥とともに春を歌おう…
どんなに恐ろしい武器を持っても、
沢山のかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!」
 
シータのこのセリフを初めて聞いた時は、現代文明に対するアンチテーゼなんだろーと漠然と考えていたんだけど、自立と共生、地域主権といった事について考えている今は、「経済成長か原始的生活への回帰か」という「ツマラナイ二択」ではないと思う。
 
土に根をおろし、風とともに生きよう…種とともに冬をこえ、鳥とともに春を歌おう…
 
それは、経済のグローバル化とクローニー資本主義の脅威に晒される今現在において、
否、
人間の生きかたとしての本質なんだろう、と考える今日この頃です(*^_^*)