「ガンダムはこういうモノでなければならない」とは何か?

ダロタ注意さんから、以下のご質問を頂戴いたしましたので、その回答を記事にしてみました。

>ただ...一つ聞いてみたいなぁと思うのは「ガンダムはこういうモノでなければならない」という枠組みは誰が決めているのでしょう..?
>何となくですが、そのような窮屈な枠組みをもうける事は、将来的にそのコンテンツを変な制限でダメにしてしまいそうな気がします....。


さて、まずご質問の趣旨として、
ガンダムはこういうモノでなければならない」とゆー固定観念を、
少なくとも『ガンダム』の「ファン」の側では抱くべきではなく、
自由でクリエイティブな発想を取り入れた作品をファンが受容しなければ、
ガンダム』とゆーメディアミックスのコンテンツの継続的な発展が望めない。
とゆーご意見を、ダロタ注意さんがお持ちなのではないか、
と勝手ながら推察いたします。<m(__)m>

ガンダムはこういうモノでなければならない」という枠組みは誰が決めているか?
とのご質問に対する「直接的な」回答といたしましては、
現在の状況では、第一には「バンダイ」でしょう。
第二に、「バンダイ」の子会社となった「サンライズ」であり、
第三に、実際に『ガンダム』作品を制作するスタッフ、
第四に、「ファン」が挙げられます。
つまり、供給と需要の均衡の上に件の枠組みが形成されていると考えます。
有り体に言えば、
バンダイ」が「こんな『ガンダム』如何ですか?」と『ガンダム』とゆー商品を提供して、
「ファン」が「この『ガンダム』面白い」って購入すれば、
ガンダムはこういうモノ」とゆー枠組みが形成されるのでしょう。

しかしながら、ダロタ注意さんが言わんとされているのは、そーゆー事ではないんでしょーねっ(^^ゞ
僕自身は、今回の『劇場版 00』に関しまして、レビューにも書きましたよーに、
ガンダム』ワールドとしては違和感があるけど、
機動戦士ガンダム00』とゆー「作品」としては「あり」かなっと、
あのスタッフさん達が選択したことだから、許容しよーとゆー立場です。
ダロタ注意さんが言わんとされているのは、
その、
>『ガンダム』ワールドとしては違和感があるけど、
とゆー部分に対して、「ファン」の側で固定観念を抱くべきではないのでは?
とゆー事なんだろーと勝手に理解しています。<m(__)m>
ガンダムはこういうモノでなければならない」という枠組みが形成される構造の中で、
需要の側である「ファン」が固定観念を抱いたままでは、
供給の側が商品展開に萎縮してしまい、
ガンダム』ワールドが発展していかないのではないか、
と危惧されているのだろーと思います。

問題は、「ガンダムはこういうモノ」の中身なんだろーと思います。
つまり、「こういうモノ」ってどーゆーモノって事ですよねー(^^ゞ

僕自身が考える『ガンダム』の特色は、
それ以前のいわゆる「ロボット物」と一線を画して、
ロボットを「モビルスーツ」と呼ばれる兵器として扱うことによって、
「戦争」をアニメーションの題材に取り上げた事、
それ以前の「ロボット物」が勧善懲悪であったのに対して、
敵味方共々同じ人間であるとゆー観点から「戦争」をアニメーションとして表現し、
「人間ドラマ」を描いた事です。
つまり、『ガンダム』ワールドとは、
モビルスーツ」と呼ばれるロボットが一般の兵器と同様に「戦争」を描くための道具として使われる「人間ドラマ」であって欲しいんですねー

ガンダム』ワールドをそのよーに考えるならば、
今回の『劇場版 00』に関しては、
「ファーストコンタクト物」とゆー「人間ドラマ」とは異質の物語が主軸に据えられたために凄く違和感を感じた点を、
先のレビューでは述べたかったんです。
僕自身は、今回の『劇場版 00』においては「人間ドラマ」とゆー観点が希薄だなー、
とも感じました。
ミーナ・カーマインが、クローンであるネーナのオリジナルであるとゆー裏設定を知っていても、
ビリー・カタギリとのくだりは軽薄さすら感じました。

ただし、『機動戦士ガンダム00』とゆー「作品」の主題である、
「相互理解の重要さ」「お互いが分かり合うことによって、戦争すら無くすことができる」
というテーマからすれば、
また、『ガンダム』ワールドが宇宙をも舞台として設定されていることからすれば、
人類とは全く異質の存在であり、理解不能に思われるELSを登場させての「ファーストコンタクト物」をスタッフさん達が選択したことは、理解できます。
しかしながら、
今回の『劇場版 00』は、テレビシリーズ本編よりは「人間ドラマ」の点であまり上手く描かれてなく、
ファンサービスに重点が置かれている点が残念でした。
もう少し『ガンダム』ワールドを上手に表現していただけたらよかったのですが・・・
ただ、映画とゆー限られた尺の中で、
刹那を中心にしての、
フェルトやマリナ姫との絡みは、上手く表現していただいたなーと思います。

なので今回の『劇場版 00』は、
ガンダム』ワールドとしては違和感があるけど、
機動戦士ガンダム00』とゆー「作品」としては「あり」かなっとゆー立場なのですが、
そーすると、今回の劇場版を含めて『機動戦士ガンダム00』とゆー「作品」を『ガンダム』ワールドとして認めるのかどーかとゆー問題が残りますよねー。
僕自身は認めよーと思っています。
今回の劇場版を含めて『機動戦士ガンダム00』とゆー「作品」なんでしょーし、
テレビシリーズ本編を観させていただいていた限り、立派に『ガンダム』していたと思いますからっ(*^^)v

ダロタ注意さんが言わんとされているでありましょー
ガンダムはこういうモノでなければならない」とゆー固定観念を「ファン」の側で抱くべきではないのでは?
と考えられます、ご指摘に対しましては回答になったか心許ないのですが、
今回の『劇場版 00』に関しましては、やはり違和感があったなーとゆーのが、
ぶっちゃけ本心です。

「窮屈な枠組みをもうける事」には僕も反対なのですが、
ガンダム』ワールドとして守るべき「枠組み」はあると思いますし、
それが制約であったとしても、
それを踏まえたうえで作品作りをしていただきたいなぁーと思います。
その際、もちろんダロタ注意さんが仰るよーに、
そのコンテンツを変な制限でダメにしてしまうよーでは困るんですけどねっ(^^ゞ

お読みいただきました皆様のご意見をお聞かせいただきましたら幸いです。